(乾)呉乾物株式会社 image
会社案内
企業ビジョン
CSR活動

社長のコラム しゃコラ



社長のコラム、通称“しゃコラ”
"道" 2006/11/01

自宅のリフォームの二期工事が終了し、新たな日常がスタートした。
今回は、キッチンの全面改修と隣接する駐車場のシャッター電動化などが目的。
約1週間仕上げ工事の為に駐車場が使えなかった時、会社に車を残し、久しぶりにぶらぶら自宅まで歩いて帰ったら、日頃車で通り抜けるだけの"道"や町並みや、間違いなくそこに暮らす人々の日常生活が、やたらと新鮮に映ってワクワクした。
日焼けした赤テントの喫茶店、玄関先で金魚の水槽を洗うおじいさん、店頭で接客している八百屋さん、おばちゃん達の井戸端会議、などなど・・・・。
そんな身近な人々の”生活感”がおもしろくないわけがない!
そこには忘れかけていた何かを思い起こさせてくれるような”光”がきらめいていた。

"道"は古来、人や文化、自然と交わる場であった、というのがよくわかる。
それが今では移動という機能に徹し、スピードしか考えなくなった。
現代社会では"道"は歩くことが主体ではなく、車という最も"道"と密接な関係にある乗り物が支配している。

そもそも"道"とは何だろう。人が幾度も通るところが"道"となる。
"道"それはまた『人の道』とか、『道を極める』とか、 地理的意味合い以外の言葉としても使われることがある。例えば『人の道』とは・・・・、人としてどう生きるべきかというようなことを言っているのではないかと思う。またこの言葉を別の視点から見れば、ある日から今日までの軌跡、たどってきた過程とも受け取れる。いずれにせよ"道"には一言で片付けられない、いろいろな意味が込められているのだ。

今でも"道"は私たちの生活になくてはならないものである。人は"道"を通して移動し、政治・経済・文化等を伝えていった。それは太古の昔から現在まで続けられてきたが、今では新たな技術革新によって情報の伝達は、"道"を必要としなくなった。そのことによって"道"本来の役割が変わるとは思えないが、"道"に対する人々の思いは変わりつつあるのではないだろうか。むしろそれは自然な成り行きで、そこに問題があるとすれば"道"や空間の造り方、利用の仕方ではないだろうか。

いつもの"道"を歩く・・・・・自分と向き合い、人と出会い、地域と触れ合うために・・・。
それは失われかけている"道"、過ぎて行った"時"へのリセットである。
リフォームによって生まれ変わって、新たな日常を生き直すリセットとあわせて、この感覚は、面白い映画を一本見終わった時の感覚に似てると思った。


しゃコラのトップへ>>>