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社長のコラム しゃコラ



社長のコラム、通称“しゃコラ”
西部劇のニオイ 2007/02/01

世の中にはさまざまなニオイが混ざり合っている。大抵の場合、私は人より早く漂うニオイに気づき、それが何のニオイか知りたくなる・・・。以前から感じていたことだが、どうも私は人より鼻が利くみたいだ・・・。

私は子供の頃、「西部劇」が大好きだった。特にCGなどまったく無縁の古い「西部劇」がお気に入りだった。最近映画館やテレビから「西部劇」が消えて久しくなる。私のような「西部劇」ファンにとっては寂しい限りだ。日本映画界を見ると、「時代劇」が復活しているのだから、ハリウッドでも、もっと「西部劇」を制作してもらいたいと思う。それにしても、邦画が元気だ。2006年は21年ぶりに興行収入が洋画を超えたらしい。

「西部劇」の主人公は、やはりある程度不潔であったほうが、強そうに見えていい。
着ている服を叩けばホコリが舞い、明らかに1ヶ月近く風呂に入っていないような・・・、当然不精ひげは伸び放題、といった人間には、コセコセとしたひ弱さなど微塵もない、不敵な面魂がうかがわれる。だから、クリント・イーストウッドやフランコ・ネロなど「西部劇」のヒーロー達は、たいていの場合、不精ひげをはやし、泥やホコリなど眼中にないほど、汚れに汚れたまま、画面に登場してくるのだ。ジリジリと照りつける太陽の中、馬にまたがって、ススけた顔をしながら、進んでいく彼らのそんな姿には、まぎれもない“美”がある。

日本にも「時代劇」という、「西部劇」に匹敵する映像文化がある。しかし、遠山の金さんも助さん角さんも、さらにNHKの大河ドラマにおいても「時代劇」に登場する大抵の人物は、なぜか小奇麗な気がする。それは映画の世界でも同じことがいえる。
眉毛を書き足し、アイシャドーを・・・といったメイクはバッチリ、和服もアイロン掛けしたような折り目がしっかりあり、さらにオーデコロンの香りでもしそうなほど、やけに小奇麗である。生活感などまったく感じさせない。不自然なほどすべてが小奇麗過ぎるので、剃り跡の青いちょんまげのかつらが、かえって“何か別なもの”といった感じがする。
日本人の美意識からすると、やっぱりこうなってしまうのも仕方がないことか・・・。

「西部劇」に関しては、「時代劇」同様ストーリー性はそれほど重要ではない。その世界でのみ通用するファッション(目の前にいたらかなりキョウレツだ)は、その世界においてのみ、ファッショナブルだ。拳銃、ライフル、馬、テンガロンハット、スカーフ、酒場、喧嘩、早撃ち、保安官、きれいなお姉ちゃん、賞金稼ぎ・・・・等々のアイテムをただ楽しむ。テンガロンハットをまぶかにかぶり、葉巻をくわえ、真っ黒に汚れた手をしているカウボーイ・・・。見るからに汗臭いニオイが、体中から思いっきり発散されている。それこそが、映像にリアリティを感じる瞬間だ。 
顔を洗ってなくてかまわない。髪もボサボサでもしょうがない。一度でいい、そんなカウボーイの鼻のひん曲がるような体臭をかいでみたいものだ。


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