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社長のコラム しゃコラ



社長のコラム、通称“しゃコラ”
採用活動はいつも真剣勝負 2007/05/08

どのような人材がほしいか、どのような職場で働きたいか、誰もが考え悩むことである。採用の現場では、雇う側も雇われる側もいつも真剣勝負。しかし、両者の間では立場の違いがあるとはいえ、なぜ「ミスマッチ」が生じるのか。雇う側の「言葉」の定義と雇われる側の「言葉」の定義との間に微妙なズレがあることが、その原因のひとつとして考えられる。雇う側と雇われる側をつなぐ「言葉」の曖昧さ・・・、両者をつなぐ「言葉」の定義の透明化と共有がいかに大切か思い知らされる。
今、人材流動化時代を迎え、両者とも採用の現場で、何に「魅かれ」、いかにして「納得」し、どのように「決断」するのだろう。

雇う側はその人の中身を見抜いて、少しでも優秀な人材を得ようと必死だ。現状の「売り手市場」の中でも、決して選考基準を下げるわけにはいかない。また、今こそこれまでの社会標準を疑い、独自の手法や路線を目指すべきではないだろうか。米国の経営手法を真似ても、米国企業には勝てないし、株主第一の経営が今風とされ、日本的家族経営は弊害ばかり強調された。株主様はもちろん、お客様や仕入先、従業員も含めた全てのステークホルダーを大切にした日本人らしい経営を、今一度思い出して大切にしなくては・・・。

また、会社の将来をどのように見いだし、デザインするかは経営者の重要な仕事である。そのデザインによって求める人物像が明確化され、優秀な人材確保のための「自社の魅力の訴求」が、重要なキーポイントとなる。社員を評価する側だった会社が、社員からも評価される時代になってくる。雇用に対する意識も、会社と社員の主従関係から職種と社員の対等関係に変わっていくだろう。それは、いい意味での会社と社員との互いの切磋琢磨の時代である。
これからの日本の雇用とそれを支える新しい人事政策について模索する企業は多く、こういった取り組みを経営の現場で実践できるかどうかが雇う側の必修条件だ。

雇われる側にとっては、今までの自分の人生を見つめ直すいい機会だと思う。今日では、グローバル化により日本だけで通用する雇用慣行は成り立たなくなってきている。カネやモノや情報が国境に関係なく自由に行き来するばかりか、労働力も移動し、もしくは安い労働力を求めて生産拠点までが移動する。要は、国民経済という従来の枠組みが限りなく希薄となる時代なのである。
よって一般的に雇用の流動性が高まるのは、もう止めようがない。いつリストラされるかもしれないし、いつ不況になるか分からない。ひょっとしたら、フリーターが主流を占める時代が来るかもしれない。

これからは、希望する会社、業界でしか通用しないようでは困ることになるという自覚を持つことは、いよいよ大事だ。
それは、業界知識や職務経験でなく、考え方、姿勢、資質などといった「明確に表現しにくいもの」こそ重要なキーポイントとなる。雇う側は「個」としてのその人と真に向き合い、人材価値を見いだしたいのだ。即戦力としては難しくても、将来の戦力として期待できるものを持っていれば、それだけで意気込みや魅力は伝わるものだ。誰もが積極的に自己投資してスキルを磨き、どんなところでも通用するように日頃から自分を鍛えておくことを勧めたい。

以前から私は、採用活動というのは、会社とその人との相性をチェックする仕事だと思っている。結局のところ“縁”という不思議な一瞬で決まり、人と企業との出会いは仕組むことのできない天の配剤だろう。私はこのごろ特にこのことを強く感じるようになった。でもその社員をどこまで教育できるか、そこに会社の将来が託されている気がする。その中で仕事や会社への愛着がないと、チームワークも魅力ある製品やサービスも生み出せない。具体的な施策は会社ごとに工夫が必要だが、採用活動の成功は、どうやら経営トップの社長の決断にかかっているようだ。


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