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社長のコラム しゃコラ



社長のコラム、通称“しゃコラ”
60年以上たってもこの国がゆれるのはなぜか 2007/08/15

「あの戦争」の歴史認識をめぐる議論が、この時期思い出したように活発化する。靖国神社参拝問題にひそむ、戦争と指導者責任についての内閉的な理解。
60年以上たってもこの国がゆれるのはなぜか。
敗戦を教訓化せずに、この国が再生されていくとしたら、こんな不幸なことはない。過去にしたことを直視しなければ、人は同じ過ちを犯す恐れがある。戦争の悲惨さ、平和の尊さは一般論としてわかっていても、実際の体験文や戦争体験者としての言葉の迫力にはかなわない。
時が経ち、「あの戦争」が過去のことになるほど、「継承」の重みは増していく。

戦没者をどうとらえるかは、戦争をどう見るかという問題と切り離すことができない。戦争の位置付けが戦没者の追悼、慰霊のあり方に結びつく。その位置付けで意見が分かれ、対立が続いている。
戦争のとらえ方として必要なことは、マクロの歴史と表裏一体のミクロの「個人の戦争」の視点だろう。戦争で死んだひとり一人、戦争によって大切な人を失ったひとり一人がどのように戦争と向き合い、どのような慰霊のあり方を望むのか。そのことに思いをはせることなしに「あの戦争」の実相がつかめるわけがない。

戦争で記録も写真も全てが焼けてしまい、親や兄弟が生きた証は残された名前しかない。むき出しの人間がいたという証が名前にあり、人間的な物語を今も静かに伝えている。しかし、物語の「その後」を奪った人道上の罪の議論が欠けてはいないだろうか。
過去と真剣に向き合おうとする努力が潮流になっていることはわかる。
『でも、どんなに罪を地中に埋めてみても、それは再びあらわれる・・・』
けじめが不十分なら、後の世代が責任をとるしかない。それは、世界中どこの国でも同じことだ。人の慰霊の形はさまざまであろう。でも、誰のための何のための慰霊なのか。戦争を繰り返さないための慰霊の形を考えるべきで、それなくして戦争の根源にあるはずの不定形のおぞましさがえぐり出されることはない。

小学生の頃、私は平和学習が苦手だった。蒸し暑い教室、生々しい写真、そして「あの戦争」が招いた悲劇の事実・・・。
当時は大事だとわかっていても、自分には重たく感じた。
でも、もう重いではすまされない。今日は8月15日、終戦記念日。


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