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社長のコラム しゃコラ



社長のコラム、通称“しゃコラ”
青い空 2007/10/16

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10代の頃の一時期、よく週末になると高田馬場にある友達のアパートへ泊まりに行った。別にこれといった目的があったわけでもないのに、ただ数人が集まって一緒にわけのわからない夜を明かしていた。なぜだかわからないが、私や私の周りにいた人間にとってはそうすることが一つの補習授業のように思えた。大学進学の為、広島から東京に上京した同級生5〜6人が、都会生活に馴染むための必修科目であったのだ。

そんな夜にみんなよくしゃべった。それはもうマシンガンみたいにしゃべった。話すことがそんなにあったわけではない。誰もが取りあえず何かをしゃべっていたかったのだ。つまり私たちは自分たちの口から飛び出す言葉を全面的に信頼できるという、実に幸せな時間を共有していたのである。
大抵、『ひょうきん族』を横目で見ながら始まる脈絡のない会話は、『ベストヒットUSA』のイントロが流れるあたりで佳境に入った。さらに『オールナイト・フジ』のオンエアにさしかかった頃には、もう最高潮に達していた・・・。だが、さすがに午前2時をすぎると口が回らなくなるので、仕切り直しの意味で吉野家の牛丼をみんなで食べに行く。それから再びアパートに帰って、ポンポンと話を始める。というようなパターンで、一晩をやり過ごすのだ。

翌朝(というか前日の延長の朝)、充血した眼をこすりながらみんなで部屋に差し込む朝日(というかもう昼)を眺めた。その頃になると、もう喉はカラカラで全身に疲労感が広がっている。恐ろしいほど平淡な朝は、真夜中に私たちが分かち合った言葉なんて跡形もなく洗い流してしまうのだ。
そして雑居ビルに切り取られた東京の空は、ひたすら青かった。それは何かの兆しを待っているかのように青かった。
「なあ、ずっと夜ならいいと思わないか?」
ある朝、私が友達に聞くと彼はタバコをくわえながらこう言った。
「それじゃあ、洗濯物が乾かねえじゃないか・・・」
「・・・・・」

あれからいったいどれくらいの夜が流れて、どれくらいの朝がやってきたのか。私たちは確実に大人になった。そして確実に以前のようにしゃべれなくなった。こうやってあたりまえになっていくものなのか・・・。
どうしてあの頃簡単にできたことが、大人になるといろいろややこしくなってできなくなるのだろう。みんなそれぞれ多くの壁にぶつかりながら、いや応なく大人になった。
大人になるということは、もしかしたら、言葉にできない感情の正体を、一つずつ知っていくことなのかもしれない。どうやらそういうことみたいである。
でも、重ねてきた年月の重さに、人はどのように向き合えばいいのか。過去を振り返るときいつも自分に問いかけている。過去に逆らうことなく、いつも自分は全力で走ってきたのか・・・と。正直なところ、自信がない・・・。

青い空がまぶしい朝には、過ごしてきた時間の中から、忘れていた何かを見つけたくなる。他の多くの時間と同じように過去のものでありながら、思いをはせるたびによみがえる、みずみずしさと幸福感。時間を止めることは無理でも、ふと立ち止まって時の流れを共有することの大切さを、今も青い空は教えてくれる。色あせることのない特別なひとときを大切な宝物のように取り出して、ときめく記憶に心遊ばせるのもわるくない。


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