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社長のコラム しゃコラ



社長のコラム、通称“しゃコラ”
遺品でたどる父親の姿  その1 2008/03/01

あの日は、いつになく早く目がさめたのを今でもよく覚えている。枕元で一本タバコに火をつけた時、郷里の父親をふと思い出した。父親の姿がなぜか急に心に浮かんだのだ。

と、その時、部屋の電話が突然鳴った・・・。

時に人はあまりにもあっけなく逝ってしまうものだ。私の父親は60歳の時、心筋梗塞で突然あの世に逝った。父親と離れて暮していた私にとって、それは運命の平手打ちだった。あの日を境に私の人生は、宿命という渦の中に向かって大きく動くこととなる。

半年ほどの間、まさに嵐のような日々が続いた後、私は父親の後を継ぐため、長く暮らしていた東京を離れ、呉に帰ってきた。
数日後、あいさつを兼ねて父親が毎日通った会社を訪れた私は、父親の机の引出しの中から数冊の古ぼけたノートを発見する。そして、一冊目のノートを広げたところから物語は始まる・・・。

父親が2歳の頃の私を撮った写真が、そのノートに大切にはさんであるのを目にして驚く。私にとって父親はいつも特別な存在だった。考えてみると、父親は私に一度も「ああしなさい」とか、「こうしてはいけない」というような、親らしいことを言ってくれたことがない。息子である私に、なぜだかいつも照れくさそうにしていた。
帰省したときなど、時に会うことはあったが、亡くなってみれば自分が父親の人生をほとんど知らなかったことに気づく・・・。私は父親が残した数冊のノートから、断片的ではあるが父親の生きてきた奇跡と出会い、そこから逃れられない不思議な縁をたどることになる。

ページをめくるたび、父親の人生の扉をひとつひとつ開けているかのような妙な感覚と、読み進めていくうちに自分と父親との距離が少しずつ縮まっていくのがはっきりと感じられる。思いがけない遺品が、過去の時間を、失われた記憶をよみがえらせる。私は、その時間と記憶の糸をたぐり寄せながら、忘れかけていた父親のぬくもりを自分の肌に覚えた。幾度もの困難を越えてきた奇跡をたどることで、父親の人生を後追いする。父親の武骨で愚直な生き方は、私に何かを思い出させ、勇気づけてもくれる。それはたとえば、何事に対しても揺るぐことのない、凛として涼やかな心といったものだ。

物語が進むにつれて、父親のイメージが次々に変化することに、さすがの私も当惑する。読み解くうちに、父親のまなざしの先にあるものが次第にはっきりしてくる。それは、すべて人とのかかわりと、日々の暮らしぶりを映すものばかりで、そこで流された汗のにおいを感じ取ろうとする姿勢だ。価値観が大転換する昭和の時代からバブルに揺れる平成の時代を、激しく流通の仕組みが変化していく様を会社を舞台に写し出している。だが、よくあるような、いたずらに自分の行いを美化するものでもなければ、反対にその失敗をことさら挙げていくものでもない。父親はまっすぐに時代を見つめ、確実なものだけをとらえようとしている。

私たちは右往左往して生きた先に、自分たちの生きるスタイルを見いだそうとするが、ここに描かれている父親も、それを捜し求めている。生きていくのに、そのことがなかなかにしんどいのだ。父親がどんな思いでこんなノートに記していたのだろうといぶかしげに見ているうちに、物語は急転直下、謎めいた世界となっていく。
もし、父親が今でも生きていたら・・・、私の人生は今とは違ったものになっていたかもしれない。今ごろ私は、どこで何をしているのだろう・・・。そもそも父親は、私が後を継ぐことを望んでいたのだろうか・・・。ひょっとして、そのまま私は東京で暮しているのではないか・・・。そして家族は・・・。
これらの謎は、決して解明されることはない。

私は生前の父親のことを少しでも知ろうといろんな人とも会ったりしたが、決定的なことはわからない。日常の生活が何か大きく変化することもないし、劇的な出来事も生じないまま、物語は今も続いている・・・。
父親が最後の最後に伝えたかったものはいったい何だったのか。ひょっとしてこのノートは父親が残した私へのメッセージなのかもしれない。
そのメッセージとは過去を懐かしむためのものではなく、未来のために用意された教訓なのだ。現在に意味を与え、将来を想像できるように導いてもくれる・・・。そんな謎解きという想像力をかき立てるにふさわしいこれらのノートは、今では私に多くの示唆を与えてくれる大切な『生きる道しるべ』となった。


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