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社長のコラム しゃコラ



社長のコラム、通称“しゃコラ”
この目で見る世界 2008/06/02

かつてこれほどまでに「見る」という行為がたやすく、また難しい時代があっただろうか。我々は、インターネットで何でも検索して見ることが出来る便利な時代にいる。そんな味気ない時代に疑問をもちながらも、今では仕事上、十分その恩恵にあずかっている。だか、「見ている」とは、やはり言い難い・・・。

先日、大塚製薬ソイジョイ新工場見学会の時、徳島県鳴門市にある『大塚国際美術館』も見学する機会をいただいた。世界初の陶板名画美術館として、古代から現代に至る西洋の絵画や壁画を、原寸大で1,000余点完璧に再現している。その巨大な建築物と強烈な説得力に、まず誰もが圧倒されるに違いない。何度訪れてもその普遍的な存在感は、薄れることがないほど健在だ。

芸術に限らず、何かを見ることの喜びの中心には、間違いなく「なんだ、これは!」という驚愕の快感がある。膨大な展示品の中で、20世紀の最も重要な絵画のひとつ、ピカソの『ゲルニカ』はとにかくすごい。芸術が生んだイメージがいかに人々の意識や思考に影響を与えるか、芸術の存在理由が何かを問いただす問題作だ。人間が抱える矛盾や不条理を凝縮して見る者に突きつける存在ともいえる。それらを見ることによって、我々はつかの間の非日常を味わうことが出来る。

また、ビデオやカメラなどでいつでも好きなときに見ることが出来る現在と違い、記憶できるものなど何もない時代。そんな時代の人々は、何もないところから始まる芸術として、絵画や壁画で生々しく表現した。

必然的に過去の巨匠たちは、人間や自然、あらゆる生命存在の根源にある‘何か’を残すため、深い精神性と生命観をたたえる数々の傑作を生んだ。ルネサンス時代の壁画、レオナルド・ダ・ヴィンチ『最後の晩餐』もそのひとつ。壁画が我々に「見る」ということを許す貴重なモノであることに気づかされる作品。壁画を通して人が本当に‘何か’を凝視することができた時代を象徴している傑作といえる。
絵画や壁画など文化財はおしなべて、注意深い保存と修復、その歴史的意義の確定と解説を必要とするため『最後の晩餐』では、修復前と修復後の2枚を同時に展示してある。それによって初めて過去は現在によみがえり、現在はみずからを見つめなおすきっかけを得る。同時に作品のもつ歴史や時代背景あるいは画法の分析を通して、我々は「そうだったのか」という驚愕も楽しめるのだ。

見知っているはずの自分の顔でさえ、まじまじと眺めていると、不気味でさえある。とはいえ街の景色や他人の顔を、あまり熱心に凝視していると、今時であれば不審者扱いされかねない。そのためか、我々は意外と現実を見ていないような気がする・・・。見ているようで本当は何も見ていないのではないか。

表層的な魅力や市場評価の高さがもてはやされる現代。
だからこそ、根源的な立脚点、いわばゼロから考え、つくる動きを見つめる絵画や壁画は、今の時代では異質に感じる。目に映るものをすべて描こうと欲張らず、主題を絞って本当に描きたいものを描くためには、角度と視点が重要だ。自分の目で選び取り、ポイントがどこにあるのかを見抜く目である。
どうやらこの目で「見る」ということは、そうたやすいことではなさそうだ。


大塚国際美術館のホームページはこちら http://www.o-museum.or.jp/japanese/index.html

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