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社長のコラム しゃコラ



社長のコラム、通称“しゃコラ”
グローバル化という錯覚 2009/01/05

人やモノやカネが国境を越えて自由に動きまわり、市場原理という単一の価値観が世界を席巻するさまは、グローバリゼーションと呼ばれている。でも、その実態はなかなかに複雑で、一体どこがどうなっているのか、日常生活の中で体感することは、かなり難しい。
私たちは毎日の生活の中で、グローバリゼーションあるいはグローバル化という言葉を必ずといっていいほど見聞きする。現代社会において、いわゆるグローバル化という現象は、最も重要な課題であり、常に高い関心を引くキーワードなのだ。

たとえばインターネットを介した情報交換などは、便利さとともに常に不安が同居していて、まさにグローバル化の典型だ。しかし、電光石火のごとく情報が世界を駆け巡る中、実は世界の人々のほとんどを置き去りにしている現状をどれだけの人が理解しているというのだろうか。私たちはグローバル化が進む裏側で、世界人口の半数の人々が、未だに電話をかけたことも、受けたこともないという現実が存在することも知っておかなくてはいけない。

今の世の中は一見刺激的で変化に富んでいるかのように見えるが、実は映画館のイスに座ってスクリーンを眺めているようにしか現実の社会に接することができないと感じる瞬間がある。これこそが、グローバル化された世の中を私たちが実感する瞬間で、現実に目をつぶろうとしている今のグローバル化の気持ち悪さかもしれない。私たちはそんな「グローバル化という錯覚」に翻弄されたよく分からない世の中にいるのだ。いや、クローバル化そのものより、こうやってグローバル化の語り方が、なんとなく心地悪い・・・。

そもそも私たちは、いつ頃からグローバル化なんて言葉を使うようになったのだろう。その昔、「インターナショナル」とか「国際化」などを会話の中に織り交ぜて使っていたのが、いつのまにかグローバル化に取って代わった・・・、そんな感じをイメージすることが多いようだ。でも、本質的にはまったく異なっている言葉のような気がする・・・。調べてみると、どうやら「東西冷戦」が終了して、世界が市場経済のルールで動き始めた90年代に入ってからのことらしい。

とにかく人やモノやカネが少しでも多く動く方向へ、世界各地がムリな形で組み込まれていく。私たちが日頃手にする商品やサービスの何かが、どこかでそのような力が加わって生み出されたものかも知れない。しかし、それらを“外国でのこと”と、無関心にさせてしまう負の効果もグローバル化が持つ側面であろう。
まるで遠い世界の出来事のようにも思えるが、よ〜く考えてみると“自分にはまったく関係ない”といえる人も、ほとんどいないはずだ。
何だか実にわかりにくい・・・・。

私たちは確実にグローバル化という錯覚に陥ってしまっているようだ。もはやグローバル化によって、何が本当なのか、何が正解なのか、従来のあり方がどんどん様変わりしていく。
それでもつかみ所のないグローバル化によって、「錯覚」がなぜ生まれるのか考える必要があるだろう。
「グローバル化という錯覚」の解明は、今後の世界を予測するうえで重要だが、残念ながらグローバル化によってあまりにも多様化した私たちの視点から把握しようとしても、正直なところ無理がある。今回の米国発サブプライムローン問題をきっかけとする世界的金融不安を見ていても、私たちの視点とつなぎ合わせることは、非常に困難だ。
そう考えると、「グローバル化という錯覚」は、実に象徴的に現代社会のリスクを浮き彫りにしていると思う。
私たちにとってグローバル化とは何なのか。
今年は原点に立ち返り、リスクを見据えることから始めたい。


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