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社長のコラム しゃコラ



社長のコラム、通称“しゃコラ”
‘1Q84’へのオマージュ column 2 2009/08/06

第5章 ≪春 樹≫  書くということの至高の魂

私は、コラムを書く時、明らかに村上春樹の文章の書き方を参考にしているところがある。
‘たとえ話’を多用したり、印象的なフレーズをポイントに据えたり、何というか文章を書く方法論とでもいうのだろうか。とにかく言葉が持つ雰囲気を大切にテーマの設定から入っていく感覚、まあ、そんなところだ・・・。
それは読者ターゲットとして‘特定の誰か’を想定するのではなく、‘不特定多数の誰か’に対してのメッセージのように、読み手との距離感を楽んでいるといっていいかもしれない。だが、素人の私では、到底プロの小説家のようにはいかない。一瞬のシーンの切り取り方や、論理的な言葉の使い方など、とても真似できない部分として改めて思い知らされた。

村上春樹は、ひとつの物語を舞台に遊び心を加えたり、メッセージを残すなど仕掛けを作る天才。そんないたずら心が、『1Q84』からも随所に感じられる。
そんな小説家としてのまなざしは、自分の作品を読む読者にではなく、小説と共に生きていかざるをえない自分自身に向けられている。
小説とは、その技法や大衆文化としての道具でなく、あくまで小説家の言葉として時代とアクセスする行為であり、そうやって成し遂げられてきたものなのだろう。『1Q84』を読みながら、身を削るように一字一字書くことはこういうことだと思い知らされ、世評うんぬんなどを超越した、書くということの至高の魂を感じた気がする。

第6章 ≪Bowie≫  David Bowieというキャラクター

アルバムジャケットの不気味さや、Bowieの当時のビジュアルがちょっと・・・、なんていう人もいることは承知している。しかし、それはそれで時代性という特別な意味合いを与えてくれている。私にとって70年代に発表されたBowieのアルバムは、どれも特別で素晴らしいものばかりだ。
ロック界に良識がはびこるこの時代に、昔のBowieは過激で良かったと錯誤的な言い方もどうかと思うが、もともとBowieは花火のようなアーチストである。世界のあちこちで美しい花火となり、花火であるからにはそれが一瞬であるからこそ美しいことを私たちは知っている。

長いキャリアの中、Bowieは時代ごとにさまざまなキャラクターという分身を作り上げ、それを自ら演じることを表現方法とした。あのDavid Bowieなのだからという我々の幻想をはぎ取る等身大のBowieが、実は「キャラクター」の中にいる。そこには表現者としての性(さが)が浮き彫りにされており、私にはBowieの音楽をより深く理解するのに役立っている。
おそらくロック・シーンにおいて、この人ほど変身願望の強い人はいないだろう。そして、‘ジギースターダスト’がその中で最も成果をあげたキャラクターだったと、誰もが認めるところだ。その「 Ziggy Stardust(ジギー・スターダスト)」については、機会があれば、改めてコラムにしたいと思っている。

第7章 ≪春 樹≫  強く想うことが運命を左右する

口に出すか出さないかは別として、私たちは誰もが特別な過去を抱えて生きている。人生に波瀾万丈でないものなどひとつもない。知らない間に、こうして人の運命を左右したり、人から左右されながら、私たちは生きている。それだけではない。私たちからは遠く離れた世界の出来事が、私たちの運命にいたずらすることだってある。繋がっていないようで、実は繋がっている。
『1Q84』の世界は、そのことを私たちにそっと気づかせてくれる。
そして、この物語の最大のメッセージは、突然やってくるその結末にこそあると思う。その結末こそ、本当に書きたかった核心ではないか。これが映画でもあれば、二人が運命的にめぐり合い、ハッピーエンドになるところだけど、この作品ではそんなありきたりな締めくくりは用意されていない。最後まで読んだ時、二人が運命から受け取る皮肉の、ただならぬ残酷さに誰もが衝撃を受けることだろう。

人は醜い生き物だ。しかしだからこそ、愛という高尚なものにあこがれるのかもしれない。手に入らないとわかっていながらなお欲する気持ち。強く想うことが運命を左右する。誰しもそこに、一縷の望みを託したいのだ。
『1Q84』、これは村上春樹が私たちに用意した究極の“純愛小説”である。

第8章 ≪Bowie≫  ともに私たちが生きねばならない未来である

ロックという音楽も、文字に託された小説も、受け取る者に出会えなければむなしいものだ。音楽は伝えようという思いと、それを感じようとする心の接点に生まれる。奇跡のような一瞬の輝きだ。
それは、決して音楽だけではない。小説もそうした心のあり方にかかっている。だが、音楽は全ての人に同じように聞こえるわけではなく、小説もまた全ての人に同じように解釈されるわけではない。

Bowieの『1984年』という曲と、村上春樹の『1Q84』という小説。
共に、現在の中に過去が、過去の中に現在が、生き生きと甦る様が描かれている。だが、現在も過去も、ともに私たちが生きねばならない未来である。現在に生きる私たちは過去を主体的に捕らえ、過去を自ら書き直すことなしに‘未来への展望’を立てることはできない。
表現者としての二人をここまで‘未来への展望’に駆り立てたものは、平凡な日常から逃亡したいという思いであり、その代り映えしない灰色の中の唯一の原色とも言うべき過去の記憶への、狂おしいまでの固執だったのだろう。その可能性と限界を、‘未来への展望’として私たちにわかりやすく提示してくれているのだ。

第9章 ≪春 樹≫  君を想う月夜に

純愛。今の時代、なんだかくすぐったくて、もしかしたら人によって安っぽく感じる言葉かもしれない。でも、本当の愛とは、どんなものだろう。それを真剣に考えさせてくれるこの小説には、やっぱり‘純愛’という言葉がピッタリくる。どんなにつらい選択でも、わが身の幸せよりも、愛する人の幸せを願うこと。
そんな純愛を、自分は胸を張ってささげられると言い切れるだろうか。また、実践してるといえるのだろうか。切なくて、尊い言葉だ。

「いつかもう一度逢いたい。夢を見ていたこの場所で・・・。」

青豆と天吾。青豆は、天吾に対する想いを二つの月がある『1Q84』の世界に見いだそうとした。天吾は、青豆への本当の想いに気づいて、初めて『1Q84』の世界で繋がる青豆との絆の強さを知った。
二人ともここまで来たからには、もう後戻りなんか出来っこない。今さら1984年なんかには戻れないのだ。今まで押さえていたものを開放するかのように、物語は激しい‘動’の場面が続く。
私たちは、過去に翻弄された人間の儚さを、純愛を通して垣間見ることが出来る。
そして、いよいよ物語が持っている偉大なる力を、村上春樹は力強く発動させる。

「いくつになっても、人は物語を信じれば生き直せる。過去も未来も塗り替えることが出来るはずだ。」

だが、二人にとって時間の流れは、あまりにも残酷すぎる。選択枠が無数にあるなんて・・・それは、まやかしにすぎない。所詮選択枠は‘生きること’だけだ。青豆にとっては、死ぬことさえも、生きることに含まれる。天吾には生き延びることしか残っていない。もがいても二人に他の選択枠がないことを二つの月が示しているのだ。
結末を迎えて天吾が見上げる二つの月は、一層輝きを増して、彼の目に映っているに違いない。なぜなら、その二つの月は、青豆と天吾の二人を表しているのだから・・・。
そう考えるのは、ちょっと都合が良すぎるだろうか。

第10章 ≪Bowie≫  メディアとしての小説とロックンロール

今や暇つぶしは、ケータイやネットが満たしてくれる。ただの暇つぶしでは、小説も音楽も売れやしない。どちらも原点に戻って、今こそメディアとして機能することが大切だ。
人は誰でも他人との違いを強調し、優越的な気持ちでいたいという側面と、他人と同じ感情を共有したいという同化願望とを持っている。
いつの時代もメディアと呼ばれるものは、私たちのそんな意識を満たしてくれるものといえるだろう。そこに敏感な時代感覚をからませ、作品が生まれていく。

メディアとは、時代に対し過剰であることであり、村上春樹とDavid Bowieという二人の表現者は、いつの時代も作品によって証明してみせる。どこまでも自分の内面の抽象化で本質に迫ろうとする村上春樹。文章をつづるのも生きることと同じく村上春樹にとっては、真摯なメディアに他ならないのだろう。一方で自己表現としてのロックに、メディアとしての自己(キャラクター)の役割を疑い続けながら重ねること、それこそがDavid Bowieの歌でもあるのだ。

オーウェルの小説に影響され、作品を世に出した二人の表現者。それぞれの本能的資質に共通項を感じ、この二人にまるで共犯者のような強い繋がりを感じる。
“メディアとしての小説とロックンロール”、これに自覚的に取組み、芸術としても商品としても完成度の高い圧倒的な作品を送り出すこと。
村上春樹とDavid Bowieの基本的な共通土壌はここにある。



あとがき

小説『1Q84』の中に、想いを代弁してくれるモノを見つけました。
だから今回お届けするのは、‘1Q84’に捧げるオマージュというカタチにこだわりました。ここに描かれた時間の感じ方や、過ごし方の内側に込められたメッセージを感じてもらえたら嬉しく思います。こういったカタチだと、以外とすんなり書けたりするものです。
込められているいろんな想いが、ちゃんと「物語」として繋がって、あなたの元へ届くことを願っています。

画像

1Q84 / 村上春樹

画像

Diamond Dogs/David Bowie


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