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社長のコラム しゃコラ



社長のコラム、通称“しゃコラ”
変わらぬ選挙事情 2009/08/31

すったもんだの末、今回の衆議院選挙は8月18日に公示、8月30日に投開票された。政権交代を掲げた野党側、政権担当能力を強調した与党側、どちらも説得力があるとは言い難いが、予想通りの野党圧勝という結果に終わった。この選挙によって、ほんとにニッポンは良くなるのだろうか。「政権交代」が実現した今、有権者に約束した政策実行の本気度が試される。真価が問われるのは、むしろこれからだ。

「いーし焼きぃーもぉ、焼きぃーもー」「えーっ、毎度お馴染みのチリ紙交換でぇ〜ございまぁすぅ」といった独特の節回しで呼びかけるのが定番の‘物売り’や‘呼び声’。昔よく聞いたこんな巷の名調子を、最近ではさっぱり聞かなくなった。いったいいつ頃から聞かれ無くなったのか、どうも思い出せない。すべての“滅び行くもの”と同じように、いつ無くなったのかもわからないようにいつのまにか無くなり忘れられ、そうして、無くなり忘れられたことを思い出す人さえも少なくなり、いなくなっていくのであろう。

その代わりと言ってはなんだが、今回の衆議院選挙期間中は選挙カーでの‘呼びかけ’をいつもより多く聞いたような気がする。連日、騒音としか思えない選挙カーによる候補者の名前の連呼で、随分にぎやかだった。以前から感じていたことだか、あの選挙カーで‘候補者の名前をただ連呼する’というは何とかならないものだろうか。大声で通り過ぎていく選挙カーに遭遇するたび、選挙への無関心、政治家への嫌悪感を募らせる有権者も若い人を中心に増えているのではないかと心配になる。不快指数の高いこの時期の騒音として、候補者にとってもむしろ逆効果だと思うのだが・・・。どう考えても、票に繋がるとは思えない。

大体ニッポンにおける選挙活動というのは、いまだに選挙カードやビラ配り、街頭演説や個人演説会、選挙カーで各地を走り回ることなどに限定されている。古い習慣に固執するため、これらの選挙活動を見直すといった考え自体が、思い浮かぶこともないのだろう。ここひと月の間に候補者の選挙カードに何回署名したことか・・・。そのおかげであちこちの選挙事務所からお礼とお願いの電話がかかってくる始末。思い当たる人も多いはず。
いつまでこんなカタチで、この国は選挙をやるつもりなのだろう。選挙への関心を高める視点に思いっきり欠けている。もうちょっと時代にあった柔軟な対応ができないものだろうか。唯一ひと昔前の選挙との違いは、マニフェスト(政権公約)を発表するところぐらい。小さな違いより大きなビジョンを掲げ、活発な政策論議が交わされることが期待されている。どこの政党も選挙に向けて、とりあえずマニフェストづくりに奔走する。だがそのマニフェストというものも、これがまた完璧ではないのだ。政党のあらゆる要素が盛り込まれているわけではない。書かれていない重要なことも実はたくさんあるのだ。

また、情勢が厳しいと感じた候補者は、スキンシップが票になると錯覚して、子供やお年寄りに日頃見せない笑顔を容赦なく振りまく。地域のイベントや町内会などの集まりは、候補者にとって欠かすことの出来ない絶好のスキンシップの場となる。候補者の頭に‘必勝’と書かれた鉢巻が巻かれていたら、間違いなくそれは‘あぶないサイン’だ。必要なら土下座だって進んでやるし、感極まって涙だって流します。いわゆる‘ドブ板選挙’といって、この国の典型的な選挙手法だ。
だから、ネットのように直接個々の有権者と結びつきが見えづらいものには、それほど力が入らない。未だにネット活用のルールづくりも進んでいないのも理解できる。

今の公職選挙法では、公示後に候補者は、自分のブログを更新したり、不特定多数へのメール広報活動をしたり、動画をウェブサイトに投稿することなど、ネットでの選挙運動が禁止されている。急速に普及するネット社会に公職選挙法が対応できていないのが現状だ。このような規定の中、政党も候補者もネットの活用に腐心している。それはまさに世の中の流れについていけていない現在の政治の世界を露呈している格好だ。だがデジタル世代の政治への参加意識喚起のため、いずれアメリカのようにネットが選挙活動の主役になる日はそう遠くはない。選挙でのネット活用はまだ発展途上にあり、有効に機能するかどうかは今後のアイデア次第だろう。

今回も、やれ改革だの変革だのと言ってる割に、どの候補者もやってることは結局従来のカタチの選挙だったことは、やはり残念だ。選挙手法や政策議論としては、どうも物足りなさが残る。どの政党の主張もお互いを批判しあうだけで、この国のことを真剣に考えているのかと疑いたくもなる。
「将来ネットが選挙活動の重要なツールになったとしても、ここが変わらなければ意味がない」
そろそろ既成概念にとらわれず、選挙のあり方そのものを見直す時ではないだろうか。


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