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社長のコラム しゃコラ



社長のコラム、通称“しゃコラ”
等身大の欲望 2010/01/06

たかが一年、されど一年。新しい年を迎え改めて昨年を振り返ってみると、なんと世の中こんなにも変わってしまうものかと感慨深くなるし、ため息をつきたくなるほど変化の幅もスピードも大きくなっていることに驚かされる。だかよく考えてみると、どう変わったのか、何が変わったのか、本当のところは誰にも見えていないのかもしれない。
世界を覆うクローバリズムとともに、先の見えない混沌とした時代を私たちは不安とともに生きている。そして、今の世の中にどこか怪しいところがあることに、私たちは気づきつつある。この国は再び「内向きモード」に入ってしまったのだろうか?

米国の金融危機に端を発する百年に一度と言われる世界的な不況が日本経済に与えた影響は、依然大きく深刻だ。米国は自国の象徴である‘自由’という言葉に翻弄され、その限りない自由への追求は限りない欲望へと姿を変え、経済混乱を招いた。多様な価値が共存する資本主義という場が、人間の根源的な自由を欲望に変えたのだ。
資本主義経済では、この‘欲望’こそが社会を突き動かしていく原動力となり、‘自由’が‘欲望’を生み、また‘欲望’が‘自由’を生むという、とどまることのない拡大のサイクルが創出されたのである。だから金融危機の出発点を探ると、どうしても「人間が持つ欲望」にたどり着いてしまうのもしょうがないかもしれない。

私たちが限りない欲望を前提とする右肩上がりの経済モデルを追い続ける限り、危機は日常茶飯事となり、やがては破滅へと突き進むことになるだろう。グローバル経済に組み込まれ複雑に絡み合った不況の修復には、今後も多くの努力と時間が必要だ。景気の全面的回復は一筋縄ではいきそうもない。
経済が自由を奪い、人間性を破綻させ、グローバルな資本に押し流されている現状を変える道を探るため、私たちに必要なことは何なのか・・・。
経済モデルなどはいつも思ったように動くものではないし、時には予想もしない方向に動くこともある。すべてのことにいえる事だが、人間の心理で目先的には上にも下にも行き過ぎるものだ。

人間は誰もが欲望に突き動かされて生きている。社会も、ますます人間の欲望を反映したものとなりつつある。だがその時、人間はないものを無理にでも手に入れようともがく。そこに、「人間が持つ欲望」の本性が現れている気がする。
だからといって人間の欲望を否定するわけにはいかない。ただ、今を生きるのにふさわしい等身大の欲望って何なのかということをとらえ直す必要は、きっとあると思う。
今年は、‘等身大の欲望’という言葉をキーワードに加え、豊かさの質を問いたい。


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