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社長のコラム しゃコラ



社長のコラム、通称“しゃコラ”
いつの時代も坂本龍馬 2010/07/21

画像「 坂本龍馬の写真 」

私たちは日頃から歴史というものを過去の事実だと考えやすい。そして、その事実は本当にあったのか、なかったのか、という議論になりやすい。
しかし冷静になって思うに、歴史とは事実か、と問われれば答えはノーだろう。

歴史の認識は、一定の事実をもとに発信される情報に過ぎない。情報には必ずといっていいほど、利害関係がからむ。そこには虚偽や誇張や隠ぺいがあり、記憶と忘却が同時に存在する。そして選び抜かれた都合のいい情報だけが伝えられていく。事実は変えられないが、事実をどうとらえるかは解釈の仕方で変わってしまうのだ。
また月日が経ち、政治や外交の利害関係の中で資源化され利用される宿命にあるのが歴史である。だから、人々の興味や関心をより強く引きつける解釈、つまり歴史への「思い」が重宝がられ、優先的にそれが歴史として伝えられてきた・・・。

さて、NHKの大河ドラマをきっかけに、今やブーム最高潮の幕末ヒーロー『坂本龍馬』。
140年あまりの時を経ても、いまだ人気が衰えないのは何故だろう。その骨太な生き方もさることながら、現代人を惹きつけるものとはいったい何なのか。
それは、幕末という時代に多彩で魅力的なキャラクターが多くいる中でも、激しくも切ないその突出したカリスマ性にある。
一言でいえば、謎の刺客に襲われて、志し半ばで非業の最期を遂げたという生きざまにあるといえる。畳の上で家族に見守られ、悔いなく最期を終えた人物では、いつの時代の主人公としても相応しくないのである。
だが、坂本龍馬という人は生きてる時よりも、亡くなってから小説などの主人公として描かれ、世の中に広く知られるようになった人物だ。もちろん重要人物には違いないが、我々が抱く坂本龍馬のイメージは、多様な解釈から成る歴史への「思い」からくるものといえるのではないだろうか。だとしたら、坂本龍馬という人は一体どんな人物だったのだろう・・・。

現代人が坂本龍馬に引かれる理由として、幕末という激動の「時代」が背景にあるのも確かだ。なぜなら、多くの人が生きづらさを抱え、善と悪が揺らいでいる現代に、今を舞台にした勧善懲悪の物語や英雄はリアリティーを持ちにくい。同じニッポン人でありながら、現代ではあんな風に生きられるはずがないのだ。だからこそ、幕末のような単純明快で神秘性の高い物語や、龍馬のような胸がすくヒーローの活躍が求められ支持されている。
混迷を極める現代に浮かび上がり映し出される龍馬の姿に、現代人は前へ進む勇気を与えられている気がするのだ。いつの時代でも、人間の心のあり方の違いが人生の選択を左右することを深く考えさせられる。

結局、時代とか国とか取っ払っても存在し不変なもの、それは人ではないかと思う。だから歴史としてちゃんと人を描けているかどうかは大切だと思う。
龍馬の生涯については後世の脚色も多いと言われるが、時代考証者がつづる龍馬像はいつも人間的魅力がいっぱいだ。
これから先も時代と呼応させる形で新しい龍馬像がどんどん立ち上げられることだろう。書かれ尽くしたかと思える人物だが、現代と過去が響き合えば、まだまだ新しい龍馬像は出てくるはず。
ヒーロー坂本龍馬として、その時代に合った人物像を形成し、歴史とのかかわりに新たな物語を加えながら伝えられていくのだ。
歴史のおもしろさは、こういうところにあるのではないだろうか。
いつの時代も歴史とは、事実ではなく「思い」なのだと改めて確信した。


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