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社長のコラム しゃコラ



社長のコラム、通称“しゃコラ”
消えた高齢者(偽りの長寿大国) 2010/09/18

今、起きていることのうち、何が「嘘」で何が「真実」なのか、そのふたつをうまく区別することができない。混沌としている・・・、これこそが「現実」というものの感触なのだろうか。だとしたら、「現実」に「本気」や「リアル」を希求することに疑問を持たずにはいられない。

あるひとつの事件をきっかけに、またたく間にニッポン中で頻発した百歳以上の高齢者の所在不明問題は、「長寿大国」を誇るニッポンの社会生活を根底から揺るがす大問題に発展した。法務省によると、戸籍上は生存しながら所在が確認できない百歳以上の高齢者は全国で23万人以上。政府やマスコミはその数字的なデータを伝えはするけれど、原因や理由を深く問うことはない。あたかも本人の意思とは別なところで、社会システムから選別されてしまったかのように・・・。

所在不明者の多くに、家族の絆の希薄化と地域社会での孤立という共通する光景が浮かび上がる。都市部では匿名性やプライバシー重視を志向するライフスタイルが定着し、地域コミュニティは衰退してしまった。表面的には豊かになったはずなのに、格差社会、グローバル社会の陰に隠れて、ひそかに蓄積されてきたニッポン社会のゆがみ。
「消えた高齢者」
SFでもホラーでもない、その生々しい「現実」を突き付けられた今、行政も地域社会もその「空白の年月」を前にたじろいている。

江戸時代後期から明治時代にかけて生まれ、戸籍上は「生存」となっている所在不明の超高齢者が、ニッポンのあちこちで判明するのに伴い、次第に明らかになってくる行政の限界。確かに個別の事情も認められるが、戸籍とか住民票とかいうシステムは、制度発足から長い年月を経て、今や制度疲労が見られるようになっていることが、今回の問題で露呈された格好だ。社会の急激な変化に制度が追いつくことが出来ず、追加的な処置を常に必要としているようでは、あまりにも社会的コストが高くついてしまう。
家族が手続きを怠ると行政としては、なす術がないという現状もやはりもどかしい。戸籍を相対化できる制度があれば、こうした事態はなくなるはずだ。今、社会生活を維持すための制度修正や機能維持の重要性が高まってきている。

確かに法律や制度が世の中の変化に対応できていないというのは多いことだが、単に対応が追いつかないというよりも、修正の必要性をわかっていながら長年放置されてきたというのが正確ではないか。大体、今回の問題でもよく考えれば、ある程度想定できたことかもしれないのだ。調べてみると莫大な規模の相違が見つかり、職務怠慢を追及され責任問題にも発展しかねない。
そこには「真実に対するおそれ」というアンタッチャブルな意識が、見え隠れしている・・・。

ニッポン社会がこんなにも息苦しくなってきたのは、一体いつからだろう。今回の問題には、空中に浮かんだ幻のような現代社会の危うさを感じる。
簡単に人を置き去りにするまぎれもない今のニッポン社会の「現実」である。


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