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社長のコラム しゃコラ



社長のコラム、通称“しゃコラ”
過去たちへ 2010/12/01

過ぎ去ってしまった「あの頃」や「あの日」に思いをはせるというのは、どうしてこんなにもやるせないのだろう。

オトナになった自分が、若かった頃の自分を振り返り、過去の自分と現在の自分を往復するという思考形態は、さまざまな意味で困難を伴う。向きあわなければならない過去は、決して誇れるものばかりではなく、封印した事実をも直視しなければならないからだ。
人は年月を重ねるに従い、過去の出来事を忘れていく・・・。しかし、どんなに年月が流れても記憶の片隅にとどまって離れようとしない、鮮やかな原色のような出来事も、誰しもが持ち合わせていることだろう。

過去は、いかにそれが挫折や失敗にあふれたものであろうと、そこには人それぞれに「幸せの瞬間」があったはずである。だからこそ、記憶は過去を美しくする。人はその美しさを「矜持」として、一日一日を生きていける。そんな「追想」は、ある年齢を過ぎたオトナの特権だと思う。自分にとって都合の悪い記憶は巧妙に切り取られ、残しておきたい美しい思い出と夢とを混ぜ合わせて再構築される。こうして過去の表面的な時間は完成し、時に訓示を垂れたりもできるのだ。

一方で、にがい思い出は、つくられた記憶の底辺に誰にも知られることなく、ひっそりと息づいている。だが、日常生活の中で、ふとした瞬間に記憶は呼び戻される。それはおのずと血液のように身体中を巡り、脳裏に過ぎし日をありありと映し出す。戻せない時を悔やみ、胸を痛めながら、誰にもいえない過去の過ちを恥じ、そののち再び記憶の底にそっと戻される。

そういえば、コラムを書き始めてから以前より過去と向き合うことが多くなった。社長の職についてからというもの、私は過去を振り返ることなくただ前を向いて突っ走ってきた。でもコラムを書くことで、立ち止まることを思い出した気がする。振り返り、そして、また歩き始める・・・。やり残したことや、後悔してることはないだろうか・・・。結局、誰でも問い続けることで見えてくるものがあるのかもしれない。
ある意味、この『しゃコラ』はそんな記憶に呪縛された人間の姿である。記憶とは、揺れ動く感情の痕跡であり、結局、人は過去を切り離して生きてはいけない。

だが自分で自分の過去を書こうとすれば、無意識のうちにも自己欺瞞と美化が入り込む。冷静な記録係と、いくつもの批判の眼をはりめぐらして事実以上に真実を保証することなど、自分ひとりでは到底出来っこない。
今となっては記憶というあやふやなものだけが手がかりである以上、私の「追想」なんて机上の空論でしかないのだ。私の脳内で再現されている過去の光景などは、完全に‘妄想’といっていいものかもしれない・・・。

今年も残すところあとひと月。
私は、こうやってコラムを連載することで、少しは書き残すことが出来ているのだろうか・・・。


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