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社長のコラム しゃコラ



社長のコラム、通称“しゃコラ”
名もなき人々へ 2011/04/21

想像してみてください。2、3日したら帰れると思って着の身着のまま避難したら、そのままもう家には戻れない・・・という運命を。
マイホームを、仕事を、家族を奪われ、まったく先の見えない日々。悲しみや不安、疲労感が国中に広がる震災後のニッポン。大地震,大津波,原発事故という三重苦に見舞われ、その被害の大きさの前で、ただ無力感に襲われている。

・・・今まで感じることのなかった奇妙な時間である。

今どんなことが起きているのか、私たちは聞き耳を立てるようにしながら、そっと生活している。
テレビの前で祈るようにその様子を見ているすべての人々の願いは、最小被害にとどめるための努力であり、祈りのはずである。同時に、私たちひとり一人も、何らかの行動をしなければならないと・・・、生き残った人々のために。そして、亡くなられた方々の沈黙の声のために・・・。

震災に直面したニッポンは、既存のシステムや価値観の改変とともに、メンタルの部分から人間の「幸福」というものを考え直す局面にあるのかもしれない。
人間にとって何が幸福なのか。生きるってことはどういうことなのか。どうしてもこの辺の言葉が、悲しみや絶望の現実のむごさにひるみ、うまく描けない。自分の非力さに目を固く閉じながら、それでも言葉を手放すことは、やってはならない。感じること、想像することをやめるわけにはいかない。だが現状を活字で描くことは、私にとって荷が重い作業である。

・・・メディアが取り上げない、だから日陰の存在。

今も被災地では、必死の覚悟で救援活動に精を出している“名もなき人々”がいる。
自衛官、警察官、海上保安官、消防隊員、自治体の職員、原発作業員など・・・。何か事が起きると決まって駆り出される運命。そして現場の最前線で、気かめいるほどの過酷な状況の中、自己犠牲的な行動を求められる。そうした名前も顔も分からない人々のお陰で、この国が、そして私たちの暮らしが、今、支えられている。自分の生命や健康を犠牲にしてまで、多くの人々にふりかかる災難を食い止めようとする意志と行動は、後世に伝えられるべき称賛に値する。
よほど気持ちを強く持ち続け、使命感を刻み込んでおかねば、乗り切れるものではない。これらのことに思いを致す時、私たちは「任務」という言葉の重さを噛みしめるのである。

凄惨(せいさん)な現場は、そんな名もなき人々の心をも消耗させ、無力感さえ抱かせかねない。
そのため陸上自衛隊ではメンタルヘルスを重視し、夜ごと隊員を10人ほどの班に分け、車座になって一日を振り返る時間をつくっている。警察官は(身元不明)犠牲者の確認が進まないことに限界を感じながらも、避難所で被災者の生活相談に当たるほか、防犯指導などを行っている。若い海上保安官の中には、あまりの惨状に泣きながら捜索活動を続ける者もいる。
また、消防隊員は苦しい時こそ「仲間と苦しみ、痛みを共有できれば気力がわいてくる」と素直に打ち明ける。このような事態が生まれた時、人々の連携、結び合いというものだけが、被災地を支えているのである。
震災により家族を失った自治体の職員の中には、自分も被災者であることを隠し、復興のため黙々と職務にあたっている人もいる。希望は、試練や困難をくぐり抜けた先にある。その思いが名もなき人々を今も突き動かしている。

・・・人間の都合で決めた「想定」を自然が超えないという保証はない。

原発事故処理にあたる作業員たちの復旧工事は、世界中が注目する「最後の砦(とりで)」である。作業員はその重みを感じながら黙々と働くが、肉体的、精神的疲労は日ごとに増している。身内に犠牲が出てもわが身を顧みず、被災地にとどまる作業員も多い。実績を声高に誇ることもなく、黙して語らぬ作業員の思いと労苦を私たちはどこまで理解しているといえるのだろうか。
被災したその広大な空間の中の、死をも意識させる静寂や、時間刻みの孤独な労働がいつまで続くのか、それは本人たちにも分からないことだと思う。
最も危険な空間で、誰からも見えない必死の作業が続けられている。
そんなテレビも取り上げない、記事にもならない“名もなき人々”の勇気と行動に、あらためてエールを送りたい。


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