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社長のコラム しゃコラ



社長のコラム、通称“しゃコラ”
どのような社会に生きたいのか 2011/05/21

ニッポンは今、太平洋戦争後の社会を‘戦後’という言葉で表したように、東日本大震災後の社会を‘震災後’とくくるほどの大きな変革の時代に入ったのではないだろうか。
誰であれ震災に巻き込まれてしまうような現実と非現実の境界や分岐点の安全な選択など、どこにも保障されていない。そんなところが、戦後の人々の置かれた状況とよく似ているのでは・・・。
と言われてもピンとこない人も多いかもしれないけど・・・。

いつ頃からだろう、「格差」なんて言葉を使いだしたのは。

「被災地格差」なんて表現で、地域間の被災状況まで「格差」に含める最近の議論は、「格差」をめぐる不安に拍車をかけるだけだ。東日本大震災のような負の社会現象が起きた後でも、すべてを「格差」に結びつけてしまうようでは、何をやっても私たちにポジティブな結果をもたらさないと思う。
メディアやネットでよく使われている「勝ち組」と「負け組」という言葉も、思ったほど日常的には使われていない。

最近では「何を格差ととらえるのか」という人々の意識にも変化が出てきている。その意識の変化には社会の変化が影響を与えている。また、実態を適切に把握せずに、イメージ論で語る状況もあるのかもしれない。危ないのは「格差」を意識するあまりその差を埋めることにばかりに意識が向かい、大切なことを見失うことじゃないだろうか。
現代社会では、「経済格差」,「教育格差」,「恋愛格差」,「情報格差」など、なんにでも当てはまってしまう「格差」というマジックワードに惑わされることなく、きめ細かく現実を見つめる視点が求められている。

今や、ニッポンに限らず先進諸国では、人々が不満を社会生活の中でうまく処理できなくなってきているのだ。これも「格差」という幻想によるものなのだろう。
その昔ニッポンでは‘一億総中流社会’と呼ばれた時代があり、富の分配、再分配に関して、総じて公平な社会が続いてきた。だが現在では経済の成長が鈍化したため、利益の配分もままならなくなってしまった。
かくして高まる人々の不満を背景に、空手形であっても改革を唱える政治家や政党が人気を博す時代。これは先進諸国が抱え込んだ共通の構造的な問題であり、私たちはそこから逃れることはできない。それを上手に飼いならさねばならない。
グローバルな世の中では、ニッポンに限らず先進諸国での「格差」は、もはや共通の現象となってしまったのだが、実は先進国と途上国の「格差」はもっと大きいのだ。その結果として、富はますます偏在し、「格差」は広がっていく。

光があたれば影ができる。その光と影の関係こそ「格差」。

人々は、そうした目に見えない現実の「格差」よりも、社会全体が「格差拡大もやむをえない」という方向へと進んでいきそうなことに、より強い不安を感じているのかもしれない。そんな人々の不安の底にあるのはいったい何なのか。それを知るためには、私たちの希望に明確なカタチを与える必要がある。そして、こう問いかけねばならないだろう。

「私たちは、どのような社会に生きたいのか」と・・・。

未曾有の大災害の後で私たちが引き受ける未来に、これほど適した問いかけはないはずだ。


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