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社長のコラム しゃコラ



社長のコラム、通称“しゃコラ”
惜しい噺家(はなしか) 2011/11/25

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落語家の立川談志師匠が亡くなった。

日本で初めて現れたメディア型落語家だった。最初にして最後のメディア型落語家。それほどにユニークな存在だった。半世紀以上もの間、型破りなそのタレント(才能)を発揮し続けた風雲児。振幅の激しい人柄と同様、人生もまた上下が激しかった。
20代で古典落語の探求的な落語家として第一線に。30代で突然の政界進出。40代には落語協会と対立し脱退騒動。晩年は若手芸人や文化人との交流。終生、社会の中心の潮流を逃さず、衆目を集めた。だが、病には勝てず力尽きた。

好んで数多く手掛けた古典落語の作品への評価は、称賛ばかりではない。だが、自作の意義を分かりやすく社会に説く能力の高さは誰もが認めた。いつも強烈な自負が、みなぎっていて、毒舌や自信たっぷりの笑顔に痛快さを感じたものだ。

そして、何よりも私たちに重要な教えを残してくれた。
メディアの中でパフォーマンスすることの重要性。とりわけメディアの仕組みが変化していく中で、芸人のありかたさえ揺さぶられはじめた時の対処法。そのさなかを生き抜く天賦の才があった。相手をのみこむ荒っぽい語り口をするのに憎めない。数々の試練に巻き込まれても平気な顔をしてのり越えた。並々ならぬ意志をもっていた証拠である。今思えば、まるで日常生活でさえ、そんな演技(芸)のひとつにみえるから不思議だ。
とはいえ、こんなパフォーマンスは、落語家として、独自の落語流派を実践してきた自信に裏付けられている。
もちろん、この独立流派もまた、メディアにむけて組みたてられたものだ。

今、死を悼み、あらゆるメディアから、あらん限りの賛辞が飛び交っている。まるで自らが飛び込んだ落語の世界を、今一度メディアに問うことになったかのように・・・。くしくも自ら幕を下ろしてなお、大向こうから名残を惜しむ声が掛かっているかのような風情に、故人も本望に違いない。

謹んでご冥福をお祈りいたします。


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