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社長のコラム しゃコラ



社長のコラム、通称“しゃコラ”
失われた旬へのこだわり 2011/12/07

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今年もおいしくミカンをいただいている。
でも、ミカンを食べてても「今ちょうど、ミカンの季節だよね」と、いちいち確認しなくてはいけない。
「旬」という言葉がよく使われるけど、何が今、本当の旬なのか、わからなくなってしまった・・・。ミカンがお歳暮ばかりではなく、お中元の品でもある時代なのである。いや、ひょっとしたら、もう一年中あってもおかしくないのかも・・・。そのうえ日々、品種改良が繰り返えされている。皮が妙に薄く、味はむやみに濃厚である。食後、口内にその過剰な甘ったるさが残ってしまい、お茶でも飲まないといられない。
ミカンとは、こういう味なんだと、今年もまた改めて自分の味覚に言って聞かせたのだった。

春のはまぐり、夏のスイカ、秋の秋刀魚、冬の鮨など、ニッポンの四季折々の味。湯気や匂いまでも立ち上がってくるような鮮やかな味の記憶は、いったいどこへ・・・。私たちの社会は今、「飽食」や「食の娯楽化」を通り過ぎ、「旬」へのこだわりさえ失いつつあるのだろうか。
どこででも、なんでも、いつだって食べ物にありつけるのだから、まことに便利な世の中になったものである。だが、そういう社会は、間違いなくニッポン人から「旬」への関心を失わせてしまう。
若者にとって今やコンビニは、冷蔵庫代わり。夜おなかが減れば手軽なスナックで満たし、栄養補給はサプリメントだという。そういうのはもはや食事とは言えないと思うのだが、食をめぐる何もかもが行き過ぎてしまった結果がこれなのだ。さびしくも哀れな現実である。

私のように卸売市場で仕事をしていると「すっかり変わってしまった」と嘆く青果物・水産物業者と話す機会が多い。でも、食文化や社会構造の劇的な変貌は、ニッポン全体でいえることだ。負の側面に焦点を合わせれば紛れもない事実だが、今の世の中を見まわした時、誰もがその事実に納得していることに後ろめたささえ感じてしまう。

こうした時、まず求められるのは、なにはともあれ、食の本質を問い直すことに違いない。身近な食材を前に、「いのちを支える食」という観点に立ち返れば、誰であれ、つつましく食べるほかあるまい。と同時に、原初の味、それ本来の味を確かめることも、大いに必要なことだろう。

便利さや低価格を追求して、命をつなぐ食をおろそかにしていないか。つい自分の嗜好を優先して、食文化の継承や食べ物に対する感謝の気持ちを粗末にしていないか。家族の絆や食卓でのマナーを軽んじてはいないか。失われた「旬」へのこだわりを取り戻すのは簡単なことではないだろう。でも、私たちに何ができるのか、ちゃんと考えないといけないのは確かだ。


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