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社長のコラム しゃコラ



社長のコラム、通称“しゃコラ”
3.11 〜 被災地が言わせる言葉 〜 2012/03/11

〜 混沌の果てに祈りが浮かび上がる。現実と非現実の境目のない世界。
     破壊された世界に対抗するために、我々は何かを生むしかない。〜

東北地方を中心に未曽有の被害を及ぼした東日本大震災は11日、発生から1年を迎えた。被災地では復興への決意を胸に、犠牲者を悼む式典などが開かれる。
あの日以来、私たちは圧倒的な非日常を日常として生きている。そこでは社会や政治など現実の課題同様、フィクションの世界での想像力もまた厳しい試練を突きつけられている。科学を基盤に、現実に先んじてさまざまな災厄を描いてきたSFというジャンルは特にそうだ。実際この未曾有の事態には、どこか既視感がつきまとって離れない。まるでハリウッドのSF映画を通して見慣れてきた破滅の情景が、ついに目の前で現実となったかのような・・・。

ならば変な話だが、実際に追いつかれてしまったSFの世界にこの先、一体何ができるのだろう。これまでSFは何を描こうとし、そして何が描けなかったのだろう。
私たちはこれからも映像で被災地と向きあっていかなければならない。決してSFなんかじゃない悲しみや恐れを内包した生き物が大地にひれ伏すかのように見えたあの津波の映像と・・・。

「3.11」によって何が正しいか間違いかという善悪二元論が崩れた今、「正解はない」というのが、正解なんです。それなのに、政治も経済も結局善悪の議論に回収されて災害に取り組むスピード感が欠如している。そこに問いを突きつけるのが、被災地から発せられる言葉であってほしいと願う。

ニッポン人は長い歴史と豊かな自然風土に育まれた民族的な特性から天災、人災に対する強い復元力を備えている。「冬が過ぎると必ず春が来る」といった循環の中で過ごしてきたことが、太平洋戦争の敗戦の廃墟にもかかわらず復興を成し遂げたニッポンの復元力の源泉になったのだ。
また、何でもありのような多神教のニッポンは、外国人には不評のあいまいさを持つものの、それが逆境の時にはしなやかな強さとなって表れる。「3.11」直後のニッポン人の毅然とした振る舞いは、世界中の人々に驚きと感動を与えたほどだ。一時的に窮地に陥っても必ず立ち直るというニッポンの復活神話。
ニッポン人ひとり一人が、他の誰のものでもない自分の悲しみやつらさと同様に向き合い、受け止めることから「3.11」後の復興は、始まるのかも知れない。

今、被災地では町のカタチや暮らしの展望がなかなか見通せない中、人々はどんなメンタリティーにあるのだろう。すべてが起こってしまった今、私たちはどんな未来を描き、どう行動すればいいのか。
死者、行方不明者を単に数字だけでとらえるのではなく、数字が何を意味するのか一歩進め、深めて考えてみる必要がある。それを未来に伝えることも私たちの重要な役目だと思う。そして、今も被災地に震災前の生活の痕跡がそっくり残っていることの無念さを考えれば、きっと被災者への視線も変わってくるはずだ。

確かに震災直後は、映像の力が圧倒的に大きかった。でも、これからは‘言葉の力’が問われる。人々の心に届く言葉、信じるに値する言葉を、小さな声でも語り続けるしかない。
いまだに「3.11」は、私たちの未来や存在そのものを揺さぶり続けている。そんな一変した世界で、言葉が果たす役割とは何なのか。

〜 無力だからといって沈黙するところからは、何も生まれやしない。
    被災地を言う言葉がある。被災地が言わせる言葉がある。
         今こそ被災地が言わせる言葉≠ノ耳を傾ける時だ。〜

私たちひとり一人が被災者が何を思い、何を求めているかを丁寧に拾い上げ、復興に生かすことが求められている。そんな意識を持つことが、「3.11」後の新しい価値観を生み出すきっかけになるはずだ。被災地が言わせる言葉≠ヘ、間違いなく「3.11」後を生きる私たちにこそ向けられている。


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