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社長のコラム しゃコラ



社長のコラム、通称“しゃコラ”
101回目のプロローグ 2012/04/05

2005年の12月に掲載が始まったこのコラムも、気がつけば100回更新し、今日で101回目。「もうそろそろネタ切れか?」「ちょっと、文章がくどくない?」「ネット人格は、違いますねぇ・・・」そんな激励(?)の言葉をたくさんいただきながら、なんだかんだと今日まで更新を重ねてきました。
当時こんなに長く続くとは、誰も想像しなかったはずです。よくぞここまでお付き合いくださいました。何より読者の皆さんのおかげでず。この場を借りて心よりお礼申し上げます。

気がつけば、コラムを書くことがライフワークのひとつとなり、日々の暮らしの中で身の回りの出来事や潜む何気ない機微をつむぐ楽しさを知った。書くことで自分の考えがまとまるし、読み直すことで「こう考えていたのか」と、もうひとりの自分が見えた気もする。ただ、自分の書き残したモノに対して「もっと違う表現はできなかったのか」と問いかけることは、あっていいのではないだろうか。いや、あるべきだと思う。正直なところ、表現として限界を何度も感じた・・・。

同じ体験や出来事も人によって感じ方が全く違う。たとえば体験ひとつとっても、必ず日向と日陰の部分があって、それぞれ違う方向からキチッと光を当ててやる必要がある。ものごとにはいろんな理由があり、双方の立場から見ないと実際のところは分からない。そんな目線で思いついたことから、一気に書き上げて、推敲を重ねるのが楽しい。5回、6回と見直して、辞書片手に言葉を捜しながら文章を練り上げる。今では辞書も電子辞書になり、「言葉探し」のスピードは格段にアップした。言葉というツールをいつもより少しだけ上手に使う事はとっても大切だ。

また、コラムには、「驚き」と「共感」が大事だと思う。
世の中のスピードに「驚き」ながら時代と向き合う言葉を紡ぎ、世の中はそう簡単ではないと生きる「共感」に結びつくように書いていければ・・・。だが、改めて今、はっきりと意識していることがある。それは、この国で起きた3.11を無視したコラムは書けない、ということ。直接何かができるわけではないけれど、忘れないように留めていく。そこを飛び越えて、ただ心地いいだけのコラムは書けない。
3.11の前と後では書く側も読む側も明らかに変わってしまったのだ。

きままに始めたコラムだが、伝わる表現を模索しながらもう少し続けていこうと思う。
これまでどおり思いつくままにテーマを選び、時折更新する程度ですが、今後もお付き合いいただければと願っています。今流行りのSNSとは違い、ネットの双方向性を生かすメディアのような展開は望めない(望んでいない)けど・・・(笑)。


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