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社長のコラム しゃコラ



社長のコラム、通称“しゃコラ”
笑われる存在 2012/05/15

日々の暮らしの中で、笑うことで少し救われたという経験は、多くの人が持っていることだろう。「笑うこと」は、私たちの日常生活で一定の効能を果たしている。次々と苦難が襲いかかり先行きが見通せないこの時代に、笑うことの重要性は一層増しているのではないだろうか。

でも最近のバラエティー番組では、芸人の私生活を必要以上に切り売りして、本来の意味で「芸」とは言い難いネタが幅を利かせている。過剰なプライベートの暴露、見苦しい限りの過激なダイエット、夫婦や兄弟の問題、はたまた家族総動員等々、とにかくなんでもかんでも私生活をネタにみんなで笑う。
それらも「芸」という向きもあるかもしれないが、要は程度の問題だ。唐突な発言や不適切な返答には、いや応なく余計な憶測も生んでしまう。
結果として芸人たちはどんどん小粒化し、消費され、飽きられてあっという間に消えていく。芸人寿命の先が見えてしまっているのだ。

今や、ちょっと売れれば私生活は自分からモロ出しで、それをネタに荒稼ぎ…。芸が売りモノじゃなく私生活ネタが売りモノの芸人も少なくない。そんな人は、芸に関する記事や仕事(本業)の話題がほとんど取り上げられることはなく、旦那や嫁や交際相手とどうしたとか、こうしたとか、そんな事ばかりがクローズアップされてしまう。
結局、芸人の多くは「笑わせる」のではなく、もっぱら「笑われる」存在になりつつあるのだ。

確かに世間の評判よりも身内での評判こそが重要とされる芸能界で活躍するには、私生活でも切り売りして笑ってもらう必要がある。芸人のタレント化が進むテレビ業界で生き残る秘訣は、才能なんかよりどれだけ「笑われる」私生活ネタを持っているかにかかっている。そして当然視聴者もそんなタレントの役割をちゃんと把握して笑っているのだ。
芸人たちが「笑われる」存在になっているのか、視聴者が「笑われる」存在を望んでいるのか、その判断は難しいが、きっと両方とも正解なのだろう。

しかし、氾濫するメディアによってこれだけ無数の情報が溢れている時代だけに、芸人も大変な時代を迎えている。今は同じような番組が増え、どの局も大同小異、没個性化の傾向にあるのだ。だから少しでも画面に映って露出を増やし、目立つためなら、なりふり構ってはいられないのが実情だろう。
ひょっとしたら人を「笑わせる」ことは大変で、むしろ「笑われる」ほうが楽なのかもしれない。


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