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社長のコラム しゃコラ



社長のコラム、通称“しゃコラ”
行き過ぎた指導 2013/02/14

私たちニッポン人は、昔から我慢強く、滅多なことでは他人と争うことを避ける。けれど、これがスポーツの世界となると、そう簡単にはいかない。まさに食うか食われるか、熾烈な競争社会である。

この熾烈な競争に生き残るため、さらなる上を目指して、死に物狂いでトレーニングを続けているアスリートはたくさんいる。そういう環境の中でトップアスリートたちは、日々もがいているのだろう。オリンピックに出場するような人たちがどんなに苛酷で凄まじいトレーニングを続けているのか、私たちには想像もつかないが、尋常ではないはずだ。

ギリギリまで自分のカラダをいじめる。もうこれが限界だと思っている限界のその先まで行こうとして自分のカラダをいじめる。自分を甘やかしている限り自分を超えることはできない。何としても自分自身の限界を突破したい。きっとアスリートのトレーニングとは、そんな過酷なものだと思う。そんな思いを克服できなければオリンピックの世界で勝てるわけがない。
当然、そんなトップアスリートの指導に当たるコーチや監督も大変なプレッシャーの中で仕事をしているはずだ。選手に選手自身の限界を超えさせる、ということを目標に日々厳しい指導を心掛けているに違いない。

そんな中、女子柔道の代表選手たちが監督から精神的、肉体的暴力を受けたとして集団でIOCに訴えた、というニュースが報道されているが、私は監督やコーチをそう簡単に批判したくない。今回、マスコミで報道された内容も、その後のスキャンダラスな扱いも選手たちにとっては、必ずしも本意ではなかったはずだ。
大阪桜宮高校の体罰事件をきっかけにスポーツの世界での体罰やしごきが大きな社会問題になってきているが、教育の世界とトップアスリートの世界を同一視することも、適当ではないと思う。
大体、うまくいかなくなるとこういった内輪の問題が表面化してくるものだ。最近のニッポン柔道も国際大会で満足のいく結果を出していない。

私は、今回のニュースを聞いてもとくに驚きはしなかった。
体罰、暴力、愛のムチ・・・、境目が難しい・・・。
検討外れかもしれないが、授業中居眠りしていると先生に教科書でたたかれ、その後の授業は背筋を伸ばしてちゃんと聞く。そんな風景は私には日常茶飯事でした。今ではそれも体罰になってしまうのだろうか?
結局程度の問題で、何事も行き過ぎると今回のような問題になってしまう・・・。

いつの時代でも、どんなスポーツでも監督やコーチは、とかく選手に無理なことを強いる存在である。無理を承知で無理なことをさせるのだから、人によっては鬼のように見えるかも知れない。もちろん暴力はいけないことだ。
今回の問題の背景にあるものは、監督や個人の責任ではなく、問題はニッポン柔道の弱体化にあるのだ。確かにニッポン柔道を取り巻く環境は、ルール改正など、ここ数年大きく変わってきた。
ニッポンのお家芸、柔道。輝かしい歴史を誇っていたのに、いったいどこでどう道を間違えたのだろう。こうなったら何が何でも国際大会で満足のいく結果を出す必要がある。ニッポン柔道は勝ち続けることで自らを証明していくしかない。


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